兄と弟と、私

4年前の夏の終わり頃だった。

初めて、兄と弟と私のきょうだい3人で深夜のドライブをした。

兄の運転する車で、子供の頃の話をした。

初めて感じた、とてもあたたかくてふわっとした、

ものすごく穏やかな空気だった。

 

うちは父が転勤族だったので、子供の頃4回引っ越しをした。

落ち着いたのは私が小学5年生のとき。

母方のおばあちゃんちの隣に家を建て、初めて田舎に引っ越した。

それが最後の引っ越し。最後の転校。

だけど、私と弟は田舎の学校が合わなかった。

田舎では転校生は珍しい。

しかも生徒間の謎のルールみたいなものがあった。

知るわけもないそのルールを破ったからといって、

転校して二日目、いじめが始まった。

誰からも相手にされず、友達もできないまま終わった。

弟は友達はできたけど波長が合わないようで、少しづつ心を閉ざしていった。

さらに、些細な喧嘩がきっかけで

兄とまったく口をきかなくなってしまった。

 

私からすると、この田舎は独特の雰囲気や暗黙の了解など

よそ者には理解できないルールがありめんどくさかった。

今でもそう。だから地元民の絆は固いのだ。

 私も弟も、早くこんなところから出ていきたいねっていつも話していた。

弟は高校1年生からずっとうつ病を繰り返している。

父も母も自分たちの育て方が悪かった、と四六時中言って

頭を抱えていた。

弟は今でも時期が来ると部屋にこもりっきりになることがある。

 

兄と私は、弟を助けたかった。

元気になっては病む、の繰り返しだった。

 

今では割と普通の3人きょうだいだが、

4年前まで兄と弟は十数年まったく口をきかなかった。

というより、弟が兄を完全に拒絶していた。

もしかしたら、兄への長い長い反抗期だったのかもしれない。

兄は弟とは正反対の性格で、とても穏やかな性格でマイペースだった。

田舎の学校に転校してもみんなと普通に仲良くしていたし、

何かあっても気にしない性格だからいつも穏やかだった。

それをずっとそばで見ていた弟。

いつものほほんと過ごしている兄と、

いつも何かにもがき苦しんでいる弟。

 

十数年後。

反抗期の終わりは突然来た。

上京した弟が体調を崩し、住む家もなく借金だらけの状況で帰ってきた。

そして更に体調が悪化。

もう死にたいと言い、リストカットの傷がふえていった。

ヨレヨレのTシャツにはいつも血が滲んでいた。

母も弟と同じく繊細で超がつくほどネガティブだ。

母は毎日泣いていた。

約半年間、家はどんより真っ暗闇に包まれ不幸のどんぞこだった。

 

ある日、事件が起きた。

弟は「もうだめだ」と言って大泣きした。

大人になってからこんなに感情をあらわにすることなんてなかったし、

昔から泣く姿を見せない弟が家族の前で大泣きするなんて初めてだった。

急いで母が病院に連れて行った。

やせ細った体とヨレヨレのTシャツ

袖にはいつもより多く血が滲んでいた。

相当思い詰めたんだろう。

 

帰りの車の中で、弟はずっと空を眺めていた。

世界が止まってしまったように本当に静かな帰り道だった。

弟はボソッと「家に帰りたくない」と言った。

母はこのままどこか遠くへ行ってしまおうと思っていた。

「どこか行きたいところある?」と母は聞いた。

弟は、「お兄ちゃんってどこに住んでるの?」と言った。

驚きすぎて時が止まった。

弟の口から「お兄ちゃん」なんて言葉が出るなんて。

十数年間も口をきかなかった兄弟。

弟は兄を毛嫌いし、家の中で避け、すれ違いざまに舌打ちしていた。

だけど、今、弟は兄に会いたがっているのだ。

そんな弟を、兄は今更受け入れてくれるだろうか、、、

兄は弟を許せるのだろうか、、、

母は慌てて兄に連絡し、兄のアパートへ向かった。

母はもちろん不安だし心配だった。

本当にこれでいいのか、と。

だけど毎日神頼みするほど、弟が少しでも体調がよくなることを願っていた。

母はずっと苦しんできた。弟のことを、女の子だったらよかった、と何度も言っていた。育て方が悪かった、私の性格に似たからだめだ、と毎日言っていた。

 

そして、奇跡が起こった。

 

兄はすべてを受け入れたのだ。

もちろん兄は重く受け止めてはいない。

私と母からしたらこの「大事件」の展開は「奇跡」であるが

兄はその温厚な性格で「おいで!入ってって!」と軽やかに受け入れてくれたのだ。

「来るもの拒まず去る者追わず」とはまさしく兄のこと。

兄と弟はほんとうにすんなり、すぐに打ち解けた。

十数年の空白なんてなかったかのように、スッと張りつめた空気が緩んだ。

「お兄ちゃん為替とかやってるんだね」と弟からほんの少し笑顔が見えた。

半年にわたる長い暗黒だった日々が終わった。

いや、弟と兄にとっては数十年という長い年月だった。

数十年という長い長い空白があったとしても、やっぱり

兄と弟はちゃんと「きょうだい」だったのだ。

そこから「本当の兄弟」の共同生活が始まった。

 

そして、4年後の今。

今度は私が兄のやさしさに助けられた。

兄は、私のぶっとんだ人格、考えていること、なにも否定せず受け入れてくれる。

今まで笑わればかにされてきた私の本気の夢や希望も、

ふざけ半分でぽろっと話したら、「いいじゃん!やろう!」と言ってくれた。

おまえが幸せになれるように応援するよ、とまで言ってくれた。

 

私は初めてひとに認められた。

それは、なにげない会話だったけど

涙がでそうにだった。

私はずっと、兄とは別々の人生を歩むと思っていた。

兄のだらしないところが嫌だし、一緒に歩くのが恥ずかしいとまで思っていたから。

「ただの家族」くらいにしか思っていなかった。

だけど今は兄と仕事をしている。

兄を尊敬している。

 

今の私があるのは兄のおかげ。
性格も全然違うし、顔も似てない。もちろん趣味も全然違う。

片付けも掃除もできない兄と、潔癖症な私。

だけど、大雑把で金遣いが荒くて人付き合いが少し苦手なのは同じ。

パズルゲームと音ゲーが得意なのは兄の隣でずっとゲームを見てきたから。

 

そっか。

私たちはお母さんのお腹の中で生命を宿ったきょうだいだったね。

年子で、ずっと一緒に育ってきた兄と私。そしてふたつ離れた弟。

きっと前世で成し遂げられなかった何かを一緒に達成するために

きょうだいになったんだ。

兄と私と弟が魂のときに、同じお母さんのところにいって

三人きょうだいとして生まれてこよう、そしてお互いに成長してこよう

って約束してこの世に生まれてきたんだ。

 

今でも4年前のあの日を思い出す。

初めて3人でドライブ。

深夜のスーパーに3人で行って、

思わず駐車場で2人の後ろ姿を写真に残した。

その日は兄のアパートで3人、朝までぷよぷよをした。

やっぱり兄が一番強かった。

 

今でも涙がでそうになる。

きっと一生、思い出すたびに心がふわっと温かくなるだろう。

私にとってあの日はかけがえのない大切な日だった。